ミュゼふくおかカメラ館 名取洋之助展

2013-2-10 22:29

ミュゼふくおかカメラ館で2月9日より始まった報道写真の先駆者 写真家 名取洋之助 展 NATORI YOUNOSUKE1910-1962 を、初日に観てきました。当日は日本カメラ博物館運営委員であり本展監修の白山眞理さんのギャラリートークがありました。

名取洋之助写真展 -  ミュゼふくおかカメラ館

名取洋之助といえば日本の報道写真を語る上では外すことのできない存在です。しかし今までどのような生涯を送り、どんな作品を撮ったのか、これまでは詳しく知りませんでした。

写真展で驚かされたのは、最初の展示にあるグラフ誌の表紙の数々。木村伊兵衛らと設立した「日本工房」で1934年創刊の対外宣伝のグラフ誌『NIPPON』や、『COMMERCE JAPAN』などを刊行していたものです。

名取洋之助は報道写真家でありましたが、編集者でもあったのです。その点が他のカメラマン・写真家といわれる人たちと大きく違うところでした。

面白いのは、名取洋之助が報道写真家を目指そうと決めたのは、家事にあった美術館の焼け跡で遺品を掘り起こしている写真を起稿したことですが、そのときの写真は名取ではなく妻のエルナが撮影した写真だったということ。

ちょうど先週の NHK スペシャルで、ロバート・キャパの名を一躍有名にした「くずおれる男」は、実は恋人のゲルダ・タローが撮影していたのではないかという沢木耕太郎の説が紹介されていました。ロバート・キャパはこの写真については多くを語らなかったといいます。

一方で、名取洋之助は、「宝を掘る人」の写真はエルナが撮影したことを公言していたと言います。この対比はとても面白いと感じました。名取洋之助の中では写真だけではなく、キャプションや文章も組み合わせた一つのルポタージュとして報道というものを捉えていたことをうかがわせる部分かもしれません。

自分の名前を冠した作品集の刊行はかなり後からだったという名取洋之助ですが、報道写真の合間に撮ったと思われる写真のセンスの良さも垣間見えます。車のボンネットを多用した構図は、とても参考になりました。

写真展では、ほかにも1936年のベルリンオリンピック取材や、岩波写真文庫の刊行にまつわるエピソード、晩年に撮影された麦積山石窟やロマネスクの写真まで、生涯にわたる写真を紹介展示されており、報道写真の歴史を知る上でもよい美術展なのではないかと思います。

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