メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年 雑感

2022-5-5 21:29

「メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年」を観に国立新美術館へ訪れた。この日の東京は27℃の夏日となったが、国立新美術館は千代田線の乃木坂駅から直接入れるのでその点はありがたい。もっとも千代田線は東京や有楽町から乗り換えようとすると少し地上を歩かなければならないのだが。ちなみに東京駅からだと二重橋前、有楽町からだと日比谷駅が近い。

メトロポリタン美術館といえば、真っ先に NHK みんなのうたを思い起こす。作詞/作曲も歌唱も大貫妙子。岡本忠成によるかわいらしい人形のストップモーションによるアニメーションが印象的な作品だ。この歌はトラウマソングとしても有名だそうで、言われてみればミイラの包帯をほどく場面はたしかに怖かった記憶があるが、私にとってはアニメーションを含めてお気に入りの一曲である。

さて展覧会である。ゴールデンウィークということもあり、この日のチケットは予約でほぼ埋まっている。午後遅くの予約で観に行ったが、それでも入場待ちでなかなかなの行列だった。案の定、入場しても人の頭越しに絵を見る感じだったが。これでもかつてのルノアール展よりはマシであるが、密集を避けていることにはなるのだろうか。


今回はメトロポリタン美術館が改装中のため常設されている作品を中心にヨーロッパ絵画65点(うち46点が日本初公開)ということで、注目の展覧会と(テレビなどでは)されていた。それで楽しみにしつつ実際に足を運んでみた個人的な感想は、正直 2,100円も払った割にはイマイチだった。確かにルネサンスから印象派までいろいろな作品が来てるが、あまり目玉と感じられるものがない。ラファエロもセザンヌもクロード・モネの絵画も来ているのだが代表作の印象がない。もっと予習をしていけば良かったのかもしれないが……。

もっとも印象に残った作品もある。まずはルカス・クラーナハ《パリスの審判》。これはギリシア神話の有名なエピソードを描いた物で、三人の女神が正面・横・後ろ姿で描かれている。ルーベンスなど他の画家も描いている題材で、クラーナハ(クラナッハとも)も同じテーマで繰り返し描いているもののうちの一つを間近で観ることができた。

The Judgment of Paris

ティツィアーノの《ヴィーナスとアドニス》は一歩踏み出そうとしているアドニスを抱いて止めようとするヴィーナスの後ろ姿が美しく描かれている。この作品も同じ題材でティツィアーノとその工房により繰り返し描かれている。メトロポリタン美術館が所蔵するものは完成度の高さから本人によるものではないかといわれている。これらルネサンスの時代は均整の取れた理想化された女性の裸体が描かれていた。

これと対照的なのがクールベの《水浴する若い女性》。小川に足を浸す若い女性。しかしその裸体は理想化されていない一般の生々しい肉体を描いている。背景は荒々しい筆遣いで飛騨は透明感のあるなめらかなタッチも素晴らしい。

ルノワールの《ヒナギクを持つ少女》もなかなか。ルノワールの描いた少女というと《イレーヌ嬢》が有名だが、これはルノワールが印象派にもどったころの作品で、実はふくよかな女性を好んで描いたのだとか。納得の一枚。

印象派と言えばもモネの《睡蓮》はちょっと雑でくらい印象をうけたが、これは晩年の筆の面を活かした技法に変わっていった時の作品とのこと。オルセーの睡蓮などとはまた違った印象がある。ちなみにオリジナルグッズのコースターにもなっていた。

あとは女性画家マリー・ドニーズ・ヴィレールの《マリー・ジョセフィーヌ・シャルロット・デュ・ヴァル・ドーニュ》という非常に長い名前の作品。この作品は長らく別の男性作家のものだと思われていたが、20世紀中頃の再調査でヴィレールのものといわれるようになった。人物には珍しい逆光のシチュエーションだが、逆効果における輪郭とくに髪のきらめきの表現が素晴らしい作品。大きく迫力もあり間近で観ると、窓の外の人物まで描かれていることがわかった。

それにしても今回の会場では順路が定まっていないのか、展示室から展示室への導線が非常にわかりづらかった。これはどのような意図なのだろうか。ちなみに来日しているのは絵画だけで天使の像などの彫刻はなかった。もちろん棺桶のミイラもなかった。

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